きらめきに落ちて。

生きるならドラマティックに、私のしあわせを演出したい。

レポート②~思考編~

二次癌の発生リスクについて詳しく知りたい。シクロホスファミドは発がん性があるという。総投与量が多い程、悪性血液疾患の発症率が上がる。

総投与量と発がん率のデータないかな。発がん性リスクはネフローゼ症候群や他免疫疾患の治療での場合の話なのだろう。それら疾患はシクロホスファミドを少量長期間に渡って投与することになる。総投与量の上限は300mg/kg。それ以上の投与は危険性が高いのだろうか。

抗がん剤は耐性がつくから、抗がん剤の毒性だけで死ぬとしたら初回が確実。骨髄抑制時に感染症を起こしても死にやすいだろう。抗がん剤で自殺をするのは難しいが、他の薬剤と比べると毒性が強く体へのダメージも大きい。そして治療時の薬は高い。

シクロホスファミド総投与量限度を超えるまであと200錠程必要。買おうかな。懲りないやつだな。二次癌のリスクを上げるために。もし数年後発がんしたら、薬を飲んだこと後悔するだろうか。今の私は数年後発がんする可能性があることを楽しみにしているが。数年後子供が欲しくなっても性腺への障害が出ていれば、産むことは難しいだろう。それ以外にも毒性は様々なところに出てくるだろう。将来病気になった時あらゆる薬への耐性がついている私には治療法がない。苦しいだろう、後悔するだろうか、生きたいと望むだろうか。

薬で死ねるなんて楽だな。苦しいけど、泣いてしまうけど、弱りゆく体と静かに別れられたら。

シクロホスファミド買うか迷ってる。1気に飲むと副作用が強すぎるから、少しずつ飲んで総投与量15000mgを超えることを目標に。だらだら中用量を入れるとすぐに耐性がつきそうだが。耐性がついて効かないと骨髄抑制を繰り返すと造血機能が弱くなるというのの境界はどこなんだろう。これは別問題か?次シクロホスファミドを飲む時は尿量の確保はきちんとしよう。出血性膀胱炎の痛みは強烈だ。

連合弛緩、両価性。ストレスが高まっていると症状が強く出る。統合失調症な訳じゃないけど。

体のつらさと心のつらさ、今は心の方が痛い。病気でもないのに薬を飲むこと、病気になるために体を薬で壊そうとしていること。どんな副作用が出たって、危険な薬を飲みたいんだ。飲みたいと言うとおかしいかもしれない。薬なんて見るだけで吐き気がする。薬によって体がダメージを受けることに快感を得ているんだ。最低なデータを揃えて喜んでいる。今回出血性膀胱炎、骨髄抑制、脱毛、を起こしても懲りていない。次なる方法を考えている。

添付文書を読み込んで、ネットで読める論文を読んで、悪性血液疾患患者の臨床での治療方法や効果をリサーチして(主に骨髄移植前処置を行っている患者)、自己投与を決めたんだ。考えなしにやっているわけではない。だから死にはしないこと分かっていた...。

私が今回やったことは自殺企図というテイにしていたが、人体実験だろう。実験の結果を評価するために血液検査等は必須だった。そして病気の状態になって治療されることでの疾病利得。病人でいる満足感。

ミュンヒハウゼン症候群かと思うが、薬を使用したことは白状してある。それが私の曖昧さというか、目的の不明瞭さを、浮き彫りにしているのかも。ただたんに嘘をついて優しくされることに痛みを感じるというのもあるけど。

私の目的は、病気になること。副作用は気になるけど、目的達成のためには躊躇わない。勢いと根性で恐怖は振り切る。命に関わる病気になるまでやめれないし、やめる気もないと思う。

人様に散々迷惑かけて、やっていいことじゃないのは分かっている。でもやめたくないんだ、こうしないと生きられないんだ。私は生きるために必要があって命懸けで体を壊している。矛盾だらけだが、無駄な正当化だが、楽しく健康的な生活を送ることより、ずっと楽しい。そんな自分に嫌気がさすけど、目的達成して病気になったところで、自分で原因を作った病気とでも判断されて優しくされないだろうけど、それでも病気になりたい。

でも人に迷惑かけて尻拭いさせるのはやめなければ。病院に1人で行けないほど(歩行困難等)体調を悪くするのはよくない。自分で処理できる範囲での行動に収めるべき。そして自分でやってるくせに大騒ぎするのは異常。もはや滑稽、いや痛すぎる、笑えもしない、ただの異常者としか思えない、ある意味サイコパス。病状の過剰なアピール、頻回な病院受診、繰り返す入退院。あげく精神の安定を保てなく、泣きわめく。自分の方向性が曖昧。アンビバレンスな思いがあるから、両極端な行動を取っている。

自分の人生、なんでも自分で決められる。でも人に迷惑かけまくるのはやめたほうがいい。1人で対処できないことはしてはいけない。それが限界設定。

本当の病気になって入院するのが夢なんだ。そして治療のかいなく死にたい。

苦しみも痛みも辛さも、我慢できないくせにね。だから私は内科的な病気にならないんだろうな。私には乗り越えられないものなのだろう。

普遍的な幸せになんの魅力を感じない。

病気と健気に闘うが死んでしまう、悲劇のヒロイン人生のほうが幸せに思える。

健康的な愛情なんて愛情じゃない。

心の痛さを表面化したいのかしら。目に見えるように、誰から見ても病人に見えるように。

髪の毛早く全部抜けてほしい。うっすらと残っている毛のみっともなさは見るに耐えない。

もう見た目は完全にがん患者。

もう少しでスキンヘッド。綿毛ちゃんヘアーかわいい。生まれたての赤ちゃんみたい。脱毛してもめげない私...。

医師は血液疾患で生きたいのに死んでいく人達を日々治療しているのに、死にたいんだか病気になりたいんだか、自分で勝手に体おかしくしてる人を治療する気持ちはどんなもんなんだろう。

私が治療者なら怒り、イラつき、軽蔑、治療したくない気持ち、精神疾患に配慮したとしてもまずそのような気持ちを感じる。そのうえで精神疾患からの自殺企図か、自傷行為か、ということで自分を納得させ最善と思われる処置をとるだろう。精神科へのコンサルトと共に。

バックグラウンドを踏まえた上で適切な処置をしてくれた先生には本当に感謝。

健康な骨髄だから、放っておけば勝手に治るのに。白血球減少中に感染症を起こして、治療が困難かつ長期になることよりは、できる手を早めに打った方が後の苦労が減る、からかな。

私は我慢できない人間だから、すぐに病院行っちゃうし、それにいちいち対応するよりさっさと治して健康にしといた方が手間が減るだろう。

調べていくうちに死にはしないと分かったのに、100T飲むのも嫌なのにそれ以上飲めるかとか、追加購入しても届くのに時間がかかるから飲む気なくなったら嫌だとか、とりあえずやってみて、もし死ねたら儲けもんぐらいの気持ちでやった私。薬が手元にあると気になって気になっていつ飲もうってずっとワクワクしてて、でも薬を見るだけで気持ち悪くなるし、痛いのとか苦しいのとか恐怖だし、すぐに吐き戻したらもったいないとか考えたし。薬がまだ体内にある状態で救急外来なんか言って告白したら、胃洗浄とか透析とかで薬の効果出る前にパーだとか、出血性膀胱炎起こしたいのに点滴で尿量増やされたらたまったもんじゃないとか、でもひどい症状落ち着くと、重病人のようにキュアケアされたいのにされないから不安になって、大量服用のこと言って事の重大さを殊更主張したり。でも思い通りに行かなかったなー、泌尿器科も精神科も血液内科も外科も救急科も。かかりつけ内科の先生はもう優しさが神がかってて、私の精神科的な問題やこれまでの経過を考えて、命を救うために頑張ってくれた...。どれだけ人に迷惑をかけるのか、それ以上に振り回すのか、境界性の症状だけでは済まされない問題行動。人の好意を仇で返すような最低なことをしてしまったね。今までもずっとそうやって生きてきたんだけど。そんな私と関わりたくない人はばっさり切れるし、なんだかんだずっと繋がってくれる人もいる。仕事だから、それだけの感情でできることじゃないと思う。人としての信念とでも言ったらいいのか、情熱とか使命とか正義感とか人生を理解しているとか人情みたいなもの。

駄目だよ、自分のわがままで人を利用して、思い通りに動かそうという考えが腐ってる。いい時ばかり利用して、ダメになった時には助けてもらって、好き勝手やりすぎ。落とし前は自分でつけろ。

あと気になることはシクロホスファミドが体内で活性化されて、マスタードガス由来の成分が私から出ていたんだろうなーということ。いわゆる暴露。私への影響より他人への影響が強く出てたら、もうあの時の私殺人兵器じゃん。

やめなきゃいけないことはわかってるつもりだよ。でも本気じゃない。本気でやめる気がない。こんなん精神疾患じゃないよ。わがまま。異常な病気好き。その異常性が精神疾患にカテゴライズされてしまうのは申し訳ない。

悲しくなるさ。普通でいられない。特別がいい。最低を極めるのが趣味。ベクトルの方向を変えれば、生きやすくなるんだろうね。好きなことはとことんやれるから。

私の異常思考は生まれ持ったものと生育歴が掛け合って完成してしまった。小さな寂しさが膨れ上がって、虚像をつくりあげているようにも見える時がある。本当の私は、おおらかで優しい、そして人が好き。どうしてそれだけで満足できないのだろうね。繊細で傷つきやすい心が既に傷だらけだからだろうか。

寂しさは人の心を抉るように、突き刺すように、確実に痛めつける。傷んだ心は何も感じまいとバリアを張って孤独にすがる。孤独、いや孤高に生きているのだと虚勢を張る。それは疲れるんだ。生きている心地なんか感じられないんだ。

ひたすらに求める安楽、死んでも手に入らない気がする。それでも分からないから、手を伸ばす。そんな人生の中に見つけた楽しみ。極上の快楽。それが私にとって病気になることだった。

おわり

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