きらめきに落ちて。

生きるならドラマティックに、私のしあわせを演出したい。

過食嘔吐の話①〜食べ方編~

私は中学生の頃から摂食障害の症状があった。最初は拒食だったが、すぐに過食嘔吐に転じ、過食嘔吐の症状をその後10年に渡ってやめられなかった。今は普通に食べられるようになったが、食べることへの苦手意識や食べ過ぎたことへの罪悪感を感じ、過食という程ではないが食べて吐いてしまうこともある。

 

私は過食嘔吐にどれだけのお金を使ったんだろう。車が一台買えるぐらいは使った。

私が好きな過食の方法は食べ歩き過食だった。歩きながら目に付いたコンビニ、スーパーなどに寄り、パンや惣菜、アイスやお菓子などを購入し歩きながら食べる。他人に見られているのは分かっていたが、気にする余裕はなかった。食べたいものを買って、腹に詰める。それだけのために散歩に出かけ食べまくった。最初は1000円までと抑えていた費用も次第に増えていき、1回の外出で1万円以上使ってしまうこともざらだった。腹が膨れて歩けない程になると根性で家まで帰り、嘔吐した。嘔吐の量の多さでトイレが詰まることも度々。何回かに分けて吐いてその度に流すことを習得した。トイレのばっこんばっこんするやつは必需品だった。

 

食べ放題にハマったこともある。その時は朝晩は食事を摂らずに昼だけ食べ放題の店に行き、過食嘔吐していた。外出先のトイレで吐いたことも多い。マナーが悪いと思われるのは承知だが、詰まらせはしなかったし、汚れは拭き取ったし、臭いを取るために消臭スプレーも撒いていた、目を瞑ってもらえるとありがたい。ほぼ毎日食べ放題に行っていた。その時の私は温かい誰がが作ったご飯をたくさん食べたかったんだ。

 

あとは自炊過食だろうか。カレー類や野菜炒め、肉炒め、いろんなものを作った。ごはんは1回に5合は食べた。めんどくさい時やお金がない時はごはんだけひたすら食べたこともある。米は切らさないようにしていた。味なんかどうでもよかったから安い米を買っていた。1番好きだったのはねぎたっぷりの麻婆豆腐かな。今では当時の食べ過ぎのせいで麻婆豆腐が苦手なのだけど。

 

 

食べることが本当にうまくできなかった。食べることは、ひたすら胃に詰めることだった。胃が膨れ上がり弾けそうになるまで詰めないと食べることがやめれなかった。苦しくて冷汗をかきながら詰め込んだこともある。

パンパンになった胃から内容物を出す時の解放感が好きだった。嘔吐は苦しいけど、あんなに苦しかった胃が空っぽになると清々しささえ感じた。

 

私は食べることが大好きなんだ。過食嘔吐の症状が酷かった時はどうしてこんなに食べてしまうのか、普通に食べられたあの時はどんなに幸せだったのだろうと悩み、自分のやめられない行動に嫌気がさした。過食嘔吐をする自分が大嫌いだった。

 

食べ物を大切に、美味しく食べろ、そんな言葉なんてクソ喰らえだった。私だってそんなこと分かってる。私だって美味しくごちそうさまができたらどんなに幸せなのだろうと心底思っていたんだ。

食べ始めたら、吐くまでやめれない。この飽くなき食べ方への執着心。

 

私は食べ物に癒されたかった。空虚な心を食べ物を食べることで栄養で満たしたかった。

本当に満たしたいのは胃じゃないんだよ。私の心を温かさで満たしたかったんだよ。

食べ物はすぐに手に入る。お金さえあれば手頃だった。お金が無い時は(高校生時代とか)、家の食べ物を食い尽くした。母に私がいると冷蔵庫が空っぽになる、食べ物を置いておけないと怒鳴られた。怒られても怒られてもやめれなかった。やめようと思っても、1口食べ始めたらだめだった。食べないか過食嘔吐、それしかできなかったんだ。

 

食べ物の魅力は完璧だ。食べ物は私を裏切らない。冷蔵庫に愛がある。

私はそう信じていた。

 

つづく