きらめきに落ちて。

生きるならドラマティックに、私のしあわせを演出したい。

雑記

みずちゃんしょうとくんとけいきくんは元気?って入院してた時同室だった患者さんに言われた。

元気だよ。と答えたけどなんのことか分からなかった。

 

でも思い出した。私が双子の犬を産んだって言ってたの彼女は覚えていたのだと思う。しょうととけいきって私が名前をつける時に使いたいと思っていたものだなぁと。

 

自分の心の狂いが怖くなる。

入院中泣いてることが多かったらしい。喜怒哀楽が今よりなかったらしい。こんなに笑っていなかったらしい。

あのままあの医者にしがみついていたら私の心が本当に本当に死んでしまったのではないか。私は自殺を既遂してしまったのではないか。そう思うと恐ろしさを感じる。

 

あの病院との出会いがなければ私はここまで回復することはできなかった。

でもあの病院に入院していた最後の1年間の「治療」は私にとって有害だったと思う。

叫んで泣いて他患に迷惑をかけ続ける私はほとんど隔離されていた。

人の行動を闇雲に制限し、何もかもの自由を奪う、人の尊厳まで奪う「治療」は『治療』なのだろうか。

 

あの時の私のわずかながらなまともな脳みそが残した日記を読み返すと、あの世界は地獄だとさえ思う。

ひたすらに死を願い死を迎えるために着実に努力を重ねていた狂気。

押さえつけなければ私を止めることはできなかったのだろうか。

入院中迷惑をかけ続けて、あのような方法で人に迷惑をかけたことがない私がそれをやめられなかった。

あの時の私が自分だなんて思いたくないよ。

なんの我慢も言っていいことも悪いことも分かっていたかもしれないけれど、行動に移すことがやめられなかった。おかしいよね。

ヤブ医者は私の幼い頃寂しい想いをしたからだとか言っていた気がするが、それだけじゃないだろう。

それだけで話を済ますのはおかしいだろう。

 

何もかもを幼少期の問題にこじつける考え方が気に入らない。

私は幼少期に大きな問題があったとは思わない。寂しかった。寂しかったけど、私は母が大好きで母に迷惑かけたくなくて1人で頑張ったんだ。そんな私の努力を否定するな。

今の私を作り上げているものは、私の脳みそ、私の感受性、私の育った環境、私の性格、今の人との繋がり、社会との関わり方なんだ。

私はヤブ医者から離れて、自分を取り戻すことができた。

新たな生活を始めることが出来た。

自伝本を書き上げ出版することができた。

体の治療をすることができた。

仕事を始めることができた。

家族との関係をやり直すことができた。

私が幸せだと感じる瞬間が増えた。

 

それは何年かの下積みとでも言ったら良いような時代があったからだけど、持ち前の前向きさや根性とプロ志向を生かすことができるようになったから達成できたことだと思う。

ざまあみろ。

私はお前と離れてすっごい幸せだ。

自傷行為をするけど、大好きな病棟に入院したいなと思うけど、デイケアにも行きたいなと思うけど、私は転院したことを後悔していない。

私は確かに扱いにくいめんどうな人間だろう。だからお前ごときに扱えるわけがない。

 

私がこの件で学んだことが医療の限界なんだ。今の精神医療ではまだまだ解き明かされていないことが多い。分子レベルで精神疾患を解析できる日がくると思う。人の心も他覚的なデータで立証できると思う。

医師は羅針盤の針のようであるべきだと思う。医師は一般的な知識を充分に蓄えた上でさらなる専門知識を活用するべきだと思う。

 

私の悪夢のような1年間は何だったんだろう。あの辛さと孤独さを思い出せば何にも負ける気がしない。でも私の若い人生の1年をあんなことに費やすのはあまりにももったいなかった。

あの医者は「『期待するな、感じるな、喋るな』が機能不全家族の呪縛だ」と言っていた。

お前がそれを私にしたんじゃないか?許されるわけがない業だろう。

 

私は以前我慢と限界を学んだと書いたが、あの1年以前に死ぬ程我慢は学んでいたし限界も知っていた。

そしてあんな方法でそれを学ばなくても良いだろう。

 

屈辱的で自分が何なのかも分からなくなる世界に閉じ込められたように思う。二度とあんなふうになりたくない。拉致監禁された人の後記を呼んであの時の私はこのような気持ちだったと通じるものを感じた。

 

全てあの医者のせいにするつもりはない。でも私の全てのトラウマ的記憶をあの医者のせいだと押し付けると、私が楽なんだ。

 

あの医者は嫌いだけど、あの病院は好き。私を大切に扱ってくれる人がいるんだもん。

 

ひねくれものの医者は嫌いだというと、愛されているとでも勘違いするのだろう。なんていう能天気。言葉を言葉のまま受け取ってみることもたまには必要ではないですか。

でも私の病院への出入りを禁止しないことだけは感謝しています。

 

私は大切にされたい。だから私は大切な人を大切にする。私が嫌いだと態度を示す人とは関わらない。私の気持ちに少しでも嫌悪感を感じる人とは距離を取る。

 

ショック療法的な効果はあったのかもね。

いやでも、私が変われたのは前向きにやりたいことをやっていく気持ちになれたからが大きい。私に基本的な生活とはこういうものだと教えてくれた母の力が大きい。母が着替えて外出ようとか化粧しようとか部屋を乙女部屋にしようとか声をかけてくれたから、私は生活を立て直すことができたんだ。

 

おわり