きらめきに落ちて。

生きるならドラマティックに、私のしあわせを演出したい。

苦しい思い出

閉鎖病棟でのトラウマについて書きます。私は約1年間閉鎖病棟に入院していました。そこでの生活はひどく苦しく思い出すだけで痛みすら感じます。

私はあることがきっかけでひどく調子を崩しました。そして生まれた憎悪とでも言ったらいいような感情、そして復讐心。私の心はその感情に飲み込まれ、感情の炎で自らをも焼き尽くしてしまいました。

自分の輪郭が曖昧になり、自分を保つことができなくなりました。奇声をあげたり馬鹿笑いしたり大泣きしたり、感情が大きく揺れ動く日々が続きました。

誰に怒りを向けたらいいのかもわからず、何が悪かったのか必死に考えました。考えても考えても答えは出ず、自分が悪かったのだと思い込もうとしました。でもその答えをどうしても飲み込むことができません。悪いもの探しをしても仕方がないと言いますが、怒りの落とし所がなく、かといって自分にぶつけるのも可哀想で、もんもんと悩み続けることしかできませんでした。

その時の私には文章を書く力さえ残っていませんでした。言葉で気持ちを伝えることもできませんでした。感情を剥き出しに怒り狂うことしかできませんでした。

閉鎖病棟で暴れる私はよく隔離室にいれられました。入院した初めの頃は隔離室でも暴れ続けていました。そのうち暴れることも疲れた私は歌い出しました。小さい頃に歌った童謡を一生懸命歌いました。それにも飽きた頃には今の私が好きな歌を歌いました。それも馬鹿らしくなって退院する前ぐらいには布団を頭まで被って眠るようになりました。布団をかじって破きました。ご飯を部屋中に撒き散らしました。私は声を出すことをやめました。

 

どうしたら退院できるのか、ここから逃げられるのか。閉鎖病棟ですぐに隔離される日々がつらく自傷行為をしました。洗剤を飲んだら肺炎を起こし、救急搬送されました。

苦しかったけど、一瞬だったけど逃げることができました。搬送先で入院になることを願っていたけど入院にはなりませんでした。

 

次に私がとった行動は他人に暴力を加えるということです。人に水をかけ、部屋中に水を撒きました。

「暴力は許さない」当時の主治医がそういって、退院することができました。

 

でも退院できたのはいい事のはずなのに、私は入院したくてしたくてたまらなくなりました。1年近く自分を見失い入院していたので、それまでどうやって暮らしていたのか、全く分かりませんでした。退院して1ヶ月間の記憶が丸々ありません。でも閉鎖病棟に何度か再入院したり救急病院に入院したりしていたみたいです。

2ヶ月目は昼夜問わず眠っていました。薬の副作用と瀉血で貧血が進み、起きていることができませんでした。それでも起きたらまた薬を飲んで瀉血をして、眠るために体を壊していました。

3ヶ月目の前半は体調不良で眠っていました。貧血で何もできないことがつらく感じ治療を始めました。少し良くなった頃ぐらいに部屋の掃除を始めました。

4ヶ月目は部屋の断捨離をし模様替えをし、まともな自炊をし始めました。新しい精神科にも行き始めました。

普通の生活を取り戻すまで4ヶ月かかりました。

 

何が良くて何が悪いのか、今となってはわかりません。でも今の私は死にたいながら生きています。死ぬための道具を枕元に置いて、確実性は無いかもしれないそれをお守りのように静かに眺めているのです。それはいつでも死ねる安心感です。

 

 

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