きらめきに落ちて。

生きるならドラマティックに、私のしあわせを演出したい。

ぐじゃぐじゃな関係は切り離す

私は4月に約4年通っていた病院を変えました。主治医への不信感が積もりに積もり、診察のたびに気分が悪くなりままならない日々を送っていました。
この病院には何度も入院したので、主治医との関係性や看護師さんとの関係性も築けていたはずだったのですが、ある事件があり主治医を信頼できなくなりました。それは1年程前の出来事です。
入院中の事です。私は身体的疾患の治療のために多量のステロイド剤を飲んでいました。その薬の副作用でステロイド精神病が起こり、たびたび迷惑行為をするようになっていました。(主治医にステロイド精神病だと言われましたが、私は抗うつ薬の副作用だと思っています。)そんな私に主治医は退院か閉鎖病棟への転棟を選ぶよう指示しました。その時私がどういった返答をしたのか覚えていませんが、退院にも転棟にもならず、もう一度迷惑行為した時にその判断をするということになりました。私は必死に自分を抑えようと我慢しました。ですがその時に入院していた他患(病院で知り合って仲良くしていた友人でもある)が私の行動が迷惑だと直接私を罵ってきました。よくもそんなに出てくる罵詈暴言に困惑しました。私は即座に言葉を喋ることが苦手なので言い返すこともできませんでした。ありきたりな悪口は言いましたが。売られた喧嘩を買ってしまったのです。
それが迷惑行為だと判断され、私は閉鎖病棟に転棟することになりました。その日主治医がいなかったので、喧嘩相手の主治医による指示でした。相手には注意があっただけで、その事があってからも開放病棟に入院し続けていました。
私は制御できない行動で迷惑をかけてしまう自分に怒りを感じていました。だから病状的に開放病棟での治療は限界だと感じていました。そう思い込もうとしました。でも許せませんでした。主治医の指示があるからと私が転棟になったこと。その時の私は迷惑行為をしたわけではないのです。どうしてこのような理不尽な事が行われるのか理解に苦しみました。
私は必死に我慢していました。だから余計に苦しくなりました。頑張っていたのにそれが認められず、悲しみさえ感じました。私は開放病棟のスタッフさんが大好きでした。閉鎖病棟は知らない人ばかりでした。私だけ転棟という処遇をされ、相手は守られるのに私は守られないんだという喪失感を感じました。今まで私を守ってくれていた壁が崩壊したような大きな喪失感でした。
私はその後閉鎖病棟で2日程過ごし主治医の診察を受けて退院しました。しかし開放病棟への出入り禁止という指示がありました。
その1週間後私は閉鎖病棟に再入院しました。そこから長い入院生活が始まりました。私の心はその件で崩壊し、なかなか立ち直ることができませんでした。これが事件の概要です。
入院生活で主治医への不信感はさらに強まりました。何度も主治医変更を望みましたがそれが叶うことはありませんでした。最後に主治医に変更を頼んだ時言われた言葉が忘れられません。「他の医師に迷惑をかけることはできない」何を言っても無駄だ、これは私が見切りを付けるしかない。そう思って転院を決意しました。転院してからも色々と問題が発生しましたが、なんとかやっています。生活も軌道に乗り始めました。
久しぶりにその病院の看護師さんに会いに行ったら元気な表情に驚かれました。転院して良かった。無理にしがみつくより離れた方が楽でした。私は主治医に不信感を抱えながらも見捨てることが出来なかったのです。主治医との関係性はいつの間にかこんがらがったものになっていました。
転院を決意するまで1年かかりました。非常に苦しい1年でしたが、学びも多かったと思います。病気との付き合い方や常識は守るべきだということを学びました。しかし未だにあの事件の傷は癒えていません。でもそろそろ手放すことができそうです。

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