きらめきに落ちて。

生きるならドラマティックに、私のしあわせを演出したい。

できるようになったこと

私は即座に自分の考えや思うことを言葉にすることができません。文章を書くことは好きですが、喋ることは苦手です。考えてからじゃないと、言葉にできないのだと思います。

そんな私も成長していく中で、できなかったことができるようになってきました。

 

  1. 人に本音を話すこと

信頼できる人ができました。ボーダーの症状が激しかった頃は、理想化やこきおろしも激しく、安定した人間関係を築くことができませんでした。少しでも優しくされると、この人はすばらしいと絶賛し、甘えきってしまうのです。そして私が嫌だなという瞬間を少しでも感じてしまうと、最低だ、と罵倒するのです。

今でもその傾向はあるのですが、信頼できる人をずっと信頼しています。大好きで愛おしくさえ思っています。

私が安心できる人に、安全な場所で本当の気持ちを話すことができるようになってから、闇雲に人に当たったり不満を直接ぶつけたりすることはなくなりました。人間関係をできるだけ穏便に済ませたい私は、人に直接注意するということをしません。あれはこうしたほうがいいのになと思うことでも、その人のやり方、何か不都合があればそのうち気がつくでしょう。これから長期的に一緒に何かをしなければいけないともなれば、いちいち不満なことにいらいらするのも嫌なので何か言うこともあると思いますが。

 

 2.甘えることを許せるようになった

甘えるということが悪いことだと思い込んでいました。中学時代の教師に甘えるなということを散々言われてきたからだと思います。まあそれもあの教師にとっての信念だったので批判はしません。公立中学の教師になるためにそれなりの努力をしたのでしょう。そこに甘えが許されなかっただけのことです。

甘えることは悪いことなのでしょうか?いろいろなところで、甘えるなだとか、甘いとか、甘えという言葉は批判されがちですが、私は甘えることが悪いことだと思いません。甘えという言葉を違う表現にすると、そのままの自分を認めるとか自分の

ペースややり方を認める、という言葉に言い換えることができると思います。

甘えたっていいじゃないか、甘えの何が悪いんですか?

私は考えが甘いとよく言われてきました。物事を的確に判断するため考えることは重要です。考えることの他にも情報を見極めること、情報を整理すること、思考と事実をわけて考えること、独りよがりな考え方にならないように関わる人達個々の状況を踏まえて、中立的な立場で判断をするようにすることを私は心がけています。まだまだ未熟な身ですので、至らない点は多々あると思いますし、甘いと思われても仕方ありません。杓子定規にものごとを判断する人には理解できない考え方なのかもしれません。多種多様な考え方がある中、私は中立性をメインにした考え方をするということです。

話を戻します。甘えは悪だと切り捨てることこそ、悪だと思うのです。甘えという言葉が持つイメージの悪さが甘えることを許せなくなっている場合もあります。しかし甘えるということは先述したとおり、ありのままの自分を認めるということでもあると思うのです。

人に何かをして頼めないこと、休んでしまう自分に怒ること、自分のできないことを頑張ってなんとかしようとすること、こういうことは甘えてはいけないという思考から起こることもあります。でも本当にそれは甘えなのでしょうか?自分を許すということではないでしょうか?

自分のできることを見極めて、できない事を人に頼ることは良い甘えだと思います。疲れた時に自分に休息を与えること、良い甘えだと思います。

とことん自分を痛めつけるまで頑張ってしまう人は甘えることが苦手です。だから、積極的に甘えを取り入れることが大切だと思うのです。

 

3.人前で話ができるようになった

最初に書いた話をすることが苦手だという話に関係する話です。

私は人と話をすることが本当に苦手です。特に、話に耳を傾けることはできるけどその話にアドバイスを求められているとき、私は何を言ったらいいのかわからなくなります。聞いてほしいだけの時もあればアドバイスがほしい時もあります。でも私は何も言うことができないのです。それは多分、私に主体性がないからだと思います。状況を判断して理解することは得意ですが、それから何をしたらいいかを考えるのが苦手なのです。自分の思いや感情がよく分からない上に、ありきたりな言葉をかけても傷つけてしまうことが多いことが分かっているので、何も発言できないのです。

そんな私も少しずつ自分の思いを話すことができるようになってきました。私はこう思う、私はこうしたい、そのようなことを経験に基づいて考えることができるようになりました。

私の会話の仕方は、私はこういう経験をしてこうだったからこうしたらいいんじゃないということがメインです。聞き苦しいと感じる人もいると思いますが、私はそれしかできません。

また、私は病院の治療で集団精神療法というものを受けました。何人かで輪になって、司会をする治療者を中心に一人ずつ自分の悩みや考え、感情を話していく場です。それに司会者がコメントすることもありますが、しないこともあります。

その治療で私は格段に人前で話すことができるようになりました。治療者のコメントはありますが、メンバー間でのグループ時の意見交換等は認められていません。いわゆる言いっぱなし聞きっぱなしというルールです。その環境がとても話しやすかったのです。

 

4.自分の居場所をつくること

以前の私にはどこにも居場所がありませんでした。自分はここにいていいのか、人の気持ちばかり気にしてどこにいても落ち着くことができなかったのです。いつも「おうちに帰りたい」という気持ちを持っていました。そのおうちというのは実家のことではなくて、空想上の私の居心地のいい場所のことでした。

でも私は自分で自分の居場所をつくって良いということを学びました。自分の居心地がいい場所を見つけて、自分の場所にしていくのです。

 

 

以上が今思いつくだけの、私のできるようになったことだと思います。他にも大小さまざまにできるようになったことがあると思います。気づいていないことも多いでしょう。また書きたくなったら書きます。

 

おわり

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